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む人は我があたりをさへ疎みぬべかめりと覺す。參りて御使の申すよりも今少しあわたゞしげに申しなせば動き給ふべきさまにもあらぬ御氣色に「たれが參りたる。例のおどろおどろしく刧す」とのたまはすれば、「宮の侍に、平のしげつねとなむ名のり侍りつる」と聞ゆ。出で給はむことのいとわりなく口惜しきに、人目もおぼされぬに、右近立ち出でゝ、この御使をにしおもてにて問へば、申しつぎつる人もよりきて、「中務の宮も參らせ給ひぬ。大夫は只今なむ參りつる道に、御車引き出づる見侍りつ」と申せば、げに俄に時々惱み給ふをりをりもあるをとおぼすに、人のおぼすらむこともはしたなくなりて、いみじう恨み契り置きて出で給ひぬ。恐しき夢の覺めたる心地して、汗に押しひたして臥し給へり。めのとうちあふぎなどして、「かゝる御住ひはよろづにつけて、つゝましうびんなかりけり。かくおはしましそめて、更によきこと侍らじ。あなおそろしや。限なき人と聞ゆとも、安からぬ御有樣は、いとあぢきなかるべし。よそのさし離れたらむ人にこそ、善しとも惡しとも覺えられ給はめ、人ぎゝも片腹痛きことゝ思う給へて、かまのさうを出して、つと見奉りつれば、いともむくつけく、げすげすしき女とおぼして手をいといたくつませ給へるこそ、猶人のけさうだちて、いとをかしくも覺え侍りつれ。かの殿には、けふもいみじくいさかひ給ひけり。唯一と所のうへを見あつかひ給ふとて、我が子どもをばおぼし捨てたり。まらうどのおはする程の御たびゐ見苦しと、あらあらしきまでぞ聞え給ひける。しもびとさへ聞き、いとほしがりけり。すべてこの少將の君ぞ、いと愛ぎやうなくおぼえ給ふ。この御事侍らざらましかばうちうちやすから