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もいと心ぼそく、ならはぬ心地に立ちはなれむことを思へど、今めかしくをかしく見ゆるあたりに暫しも見なれ奉らむと思へば、さすがに嬉しくおもほえけり。車引き出づる程の少し明うなりぬるに、宮うちよりまかでたまふ。若君覺束なく覺え給ひければ、忍びたるさまにて御車なども例ならでおはしますに、さしあひて推し留めたてたれば廊に御車寄せており給ふ。「なぞの車ぞ、暗き程に急ぎ出づるは」と目留めさせ給ふ。かやうにてぞ忍びたる所には紛れ出づるかしと御心ならひにおぼしよるもむくつけし。「常陸殿のまかでさせ給ふ」と申す。若やかなる御前ども「殿こそあざやかなれ」と笑ひあへるを聞くも、げにこよなの身の程やと悲しく思ふ。唯この御方のことを思ふゆゑにぞ、おのれも人々しくならまほしく覺えける。ましてさうじみをなほなほしくやつして見むことは、いみじくあたらしく思ひなりぬ。宮入り給ひて、「常陸殿といふ人やこゝに通はし給ふ。心ある朝ぼらけに急ぎ出でつる車そひなどこそ、ことさらめきて見えつれ」など、猶おぼし疑ひてのたまふ。聞きにくゝ片腹いたしとおぼして、「たいふなどが若くてのころ友だちにてありける人は殊に今めかしうも見えざめるを、ゆゑゆゑしげにものたまひなすかな。人の聞き咎めつべきことをのみ、常にとりない給ふこそ、なき名はたてゝ」とうちそむき給ふも、らうたげにをかし。明くるも知らず大殿籠りたるに人々あまた參り給へば寢殿に渡り給ひぬ。きさいの宮はことごとしき御惱みにもあらで、をこたり給ひにければ心地よげにて左の大殿の君達など碁うち韻ふたぎなどしつゝ遊び給ふ。夕つ方宮こなたに渡らせ給へれば、女君は御ゆするの程などなりけり。