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れど、まづかの殿の近くふるまひ給へば、佛はまことし給ひけりとこそ覺ゆれ。幼くおはしけるより行もいみじくしたまひければよ」などいふもあり。また「さきの世こそゆかしき御有樣なれ」など、口々めづることどもを、すゞろにゑみて聞き居たり。君は忍びてのたまへることをほのめかしのたまふ。「思ひそめつることしうねきまでかろがろしからずものし給ふめるを、げに只今のありさまなどを思ふは煩はしき心地すべけれど、かの世を背きてもなど思ひより給へらむも同じことに思ひなして、試み給へかし」とのたまへば「つらきめ見せず人にあなづられじの心にてこそ、鳥の音聞えざらむ住ひまで思ひ給へおきつれ、げに人の御ありさまけはひを見奉り思ひ給ふるは、しもづかへの程などにても、かゝる人の御あたりに馴れ聞えむはかひありぬべし。まいて若き人は心つけ奉りぬべく侍るめれど數ならぬ身に物思ひのたねをや、いとゞまかせて見侍らむ。たかきもみじかきも、女といふものはかゝるすぢにてこそ。この世後の世まで苦しき身となり侍るなれど、思ひ給へ侍ればなむ、いとほしく思ひ給へ侍る。それも唯御心になむ。ともかくもおぼし捨てず、物せさせ給へ」と聞ゆれば、いと煩はしくてなりて「いさやきし方の心深きに打ち解けて、行くさきの有樣は知り難きを」とうち歎きて、殊に物ものたまはずなりぬ。明けぬれば車などゐて來てかみのせうそこなどいと腹だゝしげにおびやかしたれば「かたじけなく萬にたのみ聞えさせてなむ。猶しばしかくさせ給ひて、いはほの中にとも、いかにとも思ひ給へめぐらし侍る程、かずに侍らずとも思ほしはなたず、何事をも敎へさせ給へ」など打ち泣きつゝ聞え置きて、この御かた