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いひなして、まぎらはし給ふ。

 「みそぎ河せゞに出さむなでものを身に添ふかげとたれかたのまむ。ひくてあまたにとかや、さかしらなれど、いとほしくぞ侍るや」とのたまへば、「つひによるせはさらなりや。いとうれたきやうなる、水の泡にも爭ひ侍るかな、搔き流さるゝなでもの、いでまことぞかし。いかで慰むべきことぞ」などいひつゝ、暗うなるもうるさければ、かりそめに物したる人怪しと思ふらむとつゝましきを、こよひは猶疾くかへり給へねと、こしらへやり給ふ。「さらばそのまらうどに、かゝる心の願ひ年經るを、うちつけになど、淺うはおもひなるまじうのたまはせ知らせ給ひて、はしたなげなるまじうはこそ。いとうひうひしうならひにて侍る身は、何事もをこがましきまでなむ」と語らひ聞えおきて出で給ひぬるに、この母君、いとめでたく思ふやうなる御さまかなとめでゝ、めのとのゆくりかに思ひよりて、たびたび言ひしことをあるまじきことにいひしかど此の御有樣を見るには天の川を渡りても、かゝる彥星の光をこそ待ちつけさせめ、我が娘はなのめならむ人に見せむはをしげなるさまを、ゑびすめきたる人をのみ見ならひて少將をかしこきものに思ひけるを、悔しきまで思ひなりにけり。より居給へりつるまきばしらもしとねも名殘にほへるうつり香、いへばいとことさらめきたるまで有難し。時々見奉る人だに、たびごとにめで聞ゆ。「經などを讀みて功德の勝れたることあめるにも、かのかうばしきをやむごとなきことに佛ののたまひ置けるもことわりなりや。藥王ぼんなどにも取りわきてのたまへる牛頭栴檀とかや、おどろおどろしき物の名な