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あまたして、「よべ后の宮の惱み給ふよしうけ給はりて、參りたりしかば、宮達の侍ひ給はざりしかば、いとほしく見奉りて、宮の御かはりに今まで侍ひ侍りつる。けさもいとけだいして參らせ給へるを、あいなう御あやまちに推し量り聞えさせてなむ」と聞え給へば、「げにおろかならず、思ひやり深き御用意になむ」とばかりいらへ聞え給ふ。宮は內にとまり給ひぬるを見おきて、たゞならずおはしたるなめり。例の物語いと懷しげに聞え給ふ。事に觸れて唯いにしへの忘れがたく、世の中の物憂くなりまさるよしを、あらはにはいひなさで、かすめ憂へ給ふ。さしもいかでか世を經て、こゝろに離れずのみはあらむ。猶淺からずいひそめてしことのすぢなれば、名殘なからじとにやなど見なし給へと、人の御氣色はしるきものなれば見もて行くまゝに、哀なる御心ざまを、岩木ならねば思ほししる。恨み聞え給ふことも多かれば、いとわりなく打ちなげきて、かゝる御心をやむるみそぎをせさせ奉らまほしくおぼすにやあらむ、かの人がたのたまひ出でゝ、いと忍びてこのわたりになむと、ほのめかし聞え給ふを、かれもなべての心地はせず、ゆかしくなりにたれど、打ちつけにふと移らむ心地、はたせず、「いでやその本尊願ひみて給ふべくはこそ尊からめ。時々心やましくば、なかなか山水も濁りぬべく」とのたまへば「はてはてはうたての御ひじり心や」と、ほのかに笑ひ給ふも、をかしう聞ゆ。「いでさらば傅へはてさせ給へかし。この御のがれ言葉こそ思ひ出づれば、ゆゝしく」とのたまひても、またなみだぐみぬ。

 「見し人のかたしろならば身にそへて戀しきせゞのなでものにせむ」と例のたはぶれに