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う語り給ふ。「かの過ぎにし御かはりに尋ねて見むと、この數ならぬ人をさへなむ、かの辨の尼君にはのたまひける。さもやと思ひ給へよるべき事には侍らねど、ひともとゆゑにこそはと、かたじけなけれど、哀になむ思ひ給へらるゝ、御心深さなる」などいふついでに、この君をもて煩ふこと、なくなくかたる。こまかにはあらねど人も聞きけりと思ふに、少將の思ひあなづりけるさまなどほのめかして、「命侍らむ限は何か朝夕の慰めぐさにて見過しつべし。打ち捨て侍りなむ後は、思はずなるさまにちりぼひ侍らむが悲しさに、尼になして深き山にやしすゑて、さる方に世の中を思ひ絕えて侍らましなどなむ、思ひ給へ侘びては、思ひより侍る」といふ。「げに心苦しき御有樣にこそはあなれど、何か人にあなづらるゝ御有樣は、かやうになりぬる人のさがにこそ。さりともえ堪へこもらぬわざなりければ、むげにその方に思ひおきて給へりし身をだに、かく心よりほかにながらふれば、まいていとあるまじき御ことなり。やつい給はむも、いとほしげなる御さまにこそ」など、いとおとなびてのたまへば、母君いと嬉しと思ひたり。ねびにたるさまなれど、よしなからぬさまして淸げなり。いたく肥えすぎにたるなむ常陸殿とは見えける。「故宮のつらう情なくおぼし放ちたりしに、いとゞ人げなく、人にもあなづられ給ふと見給ふれど、かう聞えさせ御覽ぜらるゝにつけてなむいにしへの憂さも慰み侍る」など、年頃の物語浮島の哀なりしことも聞え出づ。「我が身一つのとのみ、いひ合する人もなき筑波山のありさまもかくあきらめ聞えさせて、いつもいつもいとかくて侍はまほしく思ひ給へなり侍りぬれど、かしこには善からぬあやしのもの