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立ちかへりよりおはしたり。「御心よろしく見え給はゞやがてまかでなむ。猶苦しくし給はゞ、こよひは殿ゐにぞ。今は一夜をへだつるも、覺束なきこそ苦しけれ」とて暫し慰め遊ばして出で給ひぬるさまの、返す返す見るとも見るとも、飽くまじくにほひやかにをかしければ、出で給ひぬる名殘さうざうしくぞながめらるゝ。女君の御前に出で來て、いみじくめで奉れば、田舍びたるとおぼして笑ひ給ふ。「故上のうせ給ひしほどは、いふかひなく幼き御程にていかにならせ給はむと、見奉る人も故宮もおぼし歎きしを、こよなき御宿世の程なりければ、さる山ぶところの中にも生ひ出でさせ給ひしにこそありけれ。口惜しく故姬君のおはしまさずなりにたるこそ、飽かぬことなれ」など、打ち泣きつゝ聞ゆ。君も打ち泣き給ひて、「世の中のうらめしく心ぼそきをりをりも、又かくながらふれば少しも思ひ慰めつべきをりもあるを、いにしへたのみ聞えける影どもに後れ奉りけるは、なかなかによのつねに思ひなされて、見奉り知らずなりにければ、あるを、猶この御ことはつきせずいみじくこそ。大將殿の萬の事に心の移らぬよしをうれへつゝ、淺からぬ御心のさまを見るにつけても、いとこそ口惜しけれ」とのたまへば、「大將殿はさばかり世にためしなきまで、帝のかしづき覺したなるに、心おごりし給ふらむかし。おはしまさましかば、猶このことせかれしもし給はざらましや」など聞ゆ。「いさややうのものと人笑はれなる心地せましも、なかなかにやあらまし。見はてぬにつけて、心にくゝもある世にこそはと思へど、かの君はいかなるにかあらむ、怪しきまで物忘れせず。故宮の御後の世をさへ思ひやり深く、後見ありき給ふめる」など、心美し