Page:Kokubun taikan 02.pdf/497

提供:Wikisource
このページは校正済みです

ば、北の方見苦しく見れど、口入れじといひてしかば、たゞに見聞く。御かたは北おもてに居給へり。かみ、「人の御心は見知りはてぬ。唯同じ子なれば、さりともいとかくは思ひ放ち給はじとこそ思ひつれ。されば世に母なき子はなくやはある」とて娘を晝よりめのとゝ二人なべつくろひ立てたれば、にくげにもあらず。年十五六のほどにて、いとちひさやかにふくらかなる人の、髮美くしげにて小うちきのほどなるすそいとふさやかなり。これをいとめでたしと思ひてなでつくろふ。何か人のことざまに思ひかまへられける人をしもと思へど、人がらのあたらしく、かうさくにものし給ふ君なれば、われもわれもと婿に取らまほしくする人の多かなるに、取られなむも口惜しくてなむと、かのなかひとに謀られていふもいとをこなり。男君もこの程の、いかめしく思ふやうなることゝ萬の罪あるまじう思ひて、その夜もかへずきそめぬ。母君御方のめのと、いとあさましく思ふ。ひがひがしきやうなれば、とかく見あつかふも心づきなければ宮の北の方の御もとに御文奉る。「その事と侍らでは、なれなれしくやとかしこまりて、え思ひ給ふるまゝにも聞えさせぬを、愼むべきこと侍りて、しばし所がへさせむと思ひ給ふるに、いと忍びて侍ひ給ひぬべき、かくれのかた候はゞ、いともいとも嬉しくなむ、數ならぬ身ひとつの影に隱れもあへず、哀なることのみ多く侍る世なれば、たのもしき方にはまづなむ」と、うち泣きつゝ書きたる文を哀とは見給ひけれど、故宮のさばかり許し給はで止みにし人を、我ひとり殘りて、知り語らはむもいとつゝましく、又見苦しきさまにて、世にあぶれむも知らず顏にて聞かむこそ、心苦しかるべけれ、ことなること