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にほのめかし給ひけれど、聞きすぐして、帝の御かしづきむすめをえ給へる君は、いかばかりの人をか、まめやかにはおぼさむ。かの母宮などの御方にあらせて、時々も見むとはおぼしもしなむ。それはたげにめでたき御あたりなれども、いと胸痛かるべきことなり。宮のうへのかくさいはひびとゝ世に申すなれど、物思はしげにおぼしたるを見れば、いかにもいかにも二心なからむ人のみこそめやすくたのもしきことにはあらめ、我が身にても知りにき。故宮の御有樣は、いとなさけなさけしく、めでたくをかしくおはせしかど、人數にもおぼさゞりしかば、いかばかりかは心憂くつらかりし。このいといふかひなくなさけなく、さまあしき人なれど、ひたおもむきに二心なきを見れば、心やすくて年頃をも過しつるなり。をりふしの心ばへの、かやうに愛ぎやうなくよういなきことこそにくけれ。歎かしくうらめしきこともなく、かたみに打ちいさかひても心に合はぬことをばあきらめつ。上達部みこ達にてみやびかに心はづかしき人の御あたりといふとも、我が數ならではかひあらじ、萬の事我が身からなりけりと思へば萬に悲しくこそ見奉れど、いかにして人わらひならず、したて奉らむ」とかたらふ。守はいそぎ立ちて「女房などこなたにめやすきあまたあなるを、この程はあらせ給へ。やがて帳なども新しくしたてられためる方を、ことにはかになりにためれば、取りわたしとかく改むまじ」とてこの西の方に來て、立ちゐとかくしつらひさわぐ。めやすきさまにさばらかに、あたりあたりあるべきかぎりしたる所を、さかしらに屛風ども持て來て、いぶせきまでたて集めて厨子、二階など、あやしきまでしくはへて、心をやりていそげ