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ねのたまふめれ。かしこく思ひ企てられけれど、もはらほいなしとて、ほかざまへ思ひなり給ひぬべかなれば、同じくいと思ひてなむ、さらば御心と許し申しつる」など怪しくあうなく人の思はむ所も知らぬ人にて、言ひちらし居たり。北の方あきれて物もいはれで、とばかり思ふに、世の中の心うさをかきつらね、淚も墮ちぬばかり思ひ續けられて、やをら立ちぬ。こなたに渡りて見るに、いとらうたげにをかしげにて居給へるに、さりとも人には劣り給はじとは思ひ慰む。めのとゝ二人、「心うきものは人の心なりけり。おのれは同じごと思ひあつかふとも、この君のゆかりと思はむ人のためには命をも讓りつべくこそ思へ、親なしと聞きあなづりて、まだ幼くなりあはぬ人をさし越えて、かくはいひなるべしや。かく心憂く近きあたりに見じ聞かじと思ひぬれど、かみのかくおもだゝしきことに思ひてうけとり騷ぐめれば、あさましくあひあひにたる、世の人の有樣を、すべてかゝることに口入れじと思ふ。いかでこゝならぬ所に、しばしありにしがな」と打ち歎きつゝいふ。めのともいと腹だゝしく、わが君をかくおとしむることゝ思ふに、「何かこれも御さいはひにて、たがふことゝも知らず、かく心口をしくいましける君なれば、あたら御さまをも見知らざらまし。わが君をば心ばせあり、物思ひ知りたらむ人にこそ見せ奉らまほしけれ。大將殿の御さまかたちの、ほのかに見奉りしに、さも命延ぶる心地し侍りしかな、哀にはた聞えたまふなり。御すくせに任せて、さもおぼしよりねかし」といへば、「あなあそろしや。人のいふを聞けば、年頃おぼろけならむ人をば、見じとのたまひて、左の大殿、按察大納言、式部卿宮などの、いとねんごろ