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つらひて人いひなすべき。源少納言讃岐の守などのうけばりたる氣色にて出で入らむに、かみにもをさをさ受けられぬさまにてまじらはむなむ、いと人げなかるべき」とのたまふ。この人つゐそうありうたてある人の心にてこれをいと口惜しう、こなたかなたにいとほしう思ひければ、「誠にかみの娘とおぼさば、まだ若うなどおはすともしか傅へ侍らむかし。中にあたるなむ姬君とてかみはいとかなしうし給ふなる」ときこゆ。「いさや初よりしかいひよれることをおきて又いはむこそうたてあれ。されどわがほいは、かのかんのぬしの人がらもものものしく、おとなしき人なれば後見にもせまほしう見る所ありて思ひ始めしことなり。もはら顏かたちの勝れたらむ女のねがひもなし。しなあてに艷ならむ女を願はゞやすく得つべし。されどさびしうことうち合はぬみやび好める人のはてはては物淸くもなく人にも人とも覺えたらぬを見れば、少し人に譏らるゝともなだらかにて世の中をすぐさむ事を願ふなり。かみにかくなむと語らひて、さもとゆるす氣色あらば何かはさも」とのたまふ。この人は妹のこの西の御方にあるたよりに、かゝる御文なども取り傳へ始めけれど、かみには委しくも見え知られぬものなりけり。たゞいきにかみの居たりける前に行きて、「とり申すべきことありてなむ」といはす。かみこのわたりに時々出入はすと聞けど前には呼び出でぬ人の何事いひにかあらむとなま荒々しき氣色なれど「左近少將殿の御せうそこにてなむ侍ふ」といはせたればあひたり。語らひ難げなる顏して近う居寄りて、「月頃うちの御方にせうそこ聞えさせ給ふを御ゆるしありて、この月の程にと契り聞えさせ給ふこと侍るを、日を