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立ちにたるを親などものし給はぬ人なれば、心ひとつなるやうにて片腹いたう、打ちあはぬさまに見え奉ることもやとかねてなむ思ふ。若き人々あまた侍れど、思ふ人具したるはおのづからと思ひゆづられてこの君の御ことをのみなむ、はかなき世の中を見るにもうしろめたくいみじきを、物おぼし知りぬべき御心ざまと聞きて、かうよろづのつゝましさを忘れぬべかめるに、若し思はずなる御心ばへもみえば人わらへに悲しうなむあるべき」といひけるを、少將の君にまうでゝしかしかなむと申しけるに氣色あしくなりぬ。「初より更にかみの御娘にあらずといふことをなむ聞かざりつる。同じことなれど人ぎゝもけおとりたる心地して、出いりせむにもよからずなむあるべき。ようもあないせでうかひたること傅へける」とのたまふに、いとほしくなりて、「くはしくも知り給へず、女どもの知るたよりにて仰ごとを傳へはじめ侍りしに、なかにかしづく娘とのみ聞き侍れば、かみのにこそはとこそ思ひ給へつれ、こと人の子も給へらむとも問ひ聞き侍らざりつるなり。かたち心も勝れてものし給ふこと母上のかなしうし給ひて、おもだゝしうけだかきことをせむとあがめかしづかると聞き侍りしかば、いかでかのへんのこと傳へつべからむ人もがなとのたまはせしかば、さるたより知り給へりと取り申しゝなり。更にうかひたる罪侍るまじきことなり」と腹惡しく詞多かるものにて申すに、君いとあてやかならぬさまにて、「かやうのあたりにいき通はむ人のをさをさ許さぬことなれど、今やうのことにて咎あるまじうもてあがめて後見だつに罪隱してなむあるたぐひもあめるを、同じこととうちうちには思ふとも、よその覺えなむへ