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ば、「うちつけにいつのほどなる御契にかは」とうち笑ひて、「さらばしか傳へ侍らむ」とているに、

 「かほ鳥の聲もきゝしにかよふやとしげみをわけて今日ぞ尋ぬる」。唯口ずさみのやうにのたまふを、入りてかたり聞えけり。


東屋

筑波山を分け見まほしき御心はありながら、は山のしげりまであながちに思ひ入らむも、いと人ぎゝかろがろしう、片腹痛かるべき程なれば、おぼし憚りて御せうそこをだにえ傳へさせ給はず。かの尼君の許よりぞ母北の方にのたまひしさまなど、たびたびほのめかしおこせけれど、まめやかに御心とまるべきことゝも思はねば、唯さまでも尋ね知り給ふらむことゝばかり、をかしう思ひて、人の御ほどの只今の世にありがたげなるをも、かずならましかばなどぞ萬に思ひける。かみの子どもは母なくなりにけるなどあまた、このはらにも姬君とつけてかしづくあり。まだ幼きなどすぎすぎに五六人ありければ、さまざまにこのあつかひをしつゝこと人と思ひ隔てたる心のありければ、常にいとつらきものにかみをも怨みつゝ、いかで引きすぐれて、おもだゝしき程にしなしても見えにしがなと、明暮この母君は思ひあつかひける。さまかたちのなのめにとりまぜてもありぬべくは、いとかうしも何かは苦しきま