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う哀にうれしく覺え給ふ。只今もはひよりて世の中におはしけるものをといひ慰めまほし、蓬萊まで尋ねて、かんざしのかぎりを傅へて見給ひけむ帝は猶いといぶせかりけむ、これはこと人なれど慰め所ありぬべきさまなりと覺ゆるは、この人に契のおはしけるにやあらむ。尼君は物語少ししてとく入りぬ。人の咎めつるかをりを近くて覗き給ふなめりと心得てければ、打ち解けごとも語らはずなりぬるなるべし。日も暮れもて行けば君もやをら出でゝ御ぞなど着給ひてぞ、例召し出づるさうじ口に尼君召し出で給ひて、ありさまなど問ひ給ふ。「をりしも嬉しくまうできあひたるをいかにぞ、かの聞えしことは」とのたまへば「しかおほせごと侍りし後は、さるべきついで侍らばと待ち侍りしに、こぞは過ぎてこの二月になむ、初瀨詣のたよりに對面して侍りし。かの母君に思し召したるさまは、ほのめかし侍りしかば、いとかたはらいたく忝き御よそへにこそは侍るなれとなむ侍りしかど、そのころほひはのどやかにもおはしまさずとうけ給はりし。をりびんなく思ひ給へつゝみてなむ、かくなども聞えさせ侍らざりしを、又この月にもまうでゝけふ歸り給へるなめり。行きかへりの中やどりには、かうむつびらるゝも唯過ぎにし御けはひを尋ね聞えらるゝ故になむ侍るめる。かの母君はさはることありて、このたびはひとり物し給ふめれば、かくおはしますとも何かは物し侍らむ」と聞ゆ。「田舍びたる人どもに忍びやつれたるありきも見えじとて口がためつれどいかゞあらむ。げすどもは隱れあらじかし。さていかゞすべき。一人物し給ふらむこそなかなか心やすかなれ。かく契深くてなむ參りきはひたると傳へ給へかし」とのたまへ