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見ゆることもなき人なれど、かくたちさりがたくあながちにゆかしきもいとあやしき心なり。尼君はこの殿の御方にも御せうそこ聞え出したりけれど「御心ちなやましとて今のほどうちやすませ給へるなり」と御供の人々心しらひていひたりければ、この君を尋ねまほしげにおぼしのたまひしかば、かゝる序に物いひふれむとおぼすによりて、日を暮し給ふにやと思ひて、かく覗き給ふらむとは知らず、例のみさうのあづかりどもの參れるわりごやなにやとこなたにも入れたるを、あづまびとゞもにもくはせなどことゞも行ひおきて、うちけさうじてまらうどの方に來たり。譽めつるさうぞく、げにいとかはらかにて、みめも猶よしよししく淸げにぞある。「きのふおはしつきなむと待ち聞えさせしを、などかけふも日たけては」といふめれば、このおい人、「いと怪しう苦しげにのみせさせ給へれば、きのふはこのいづみ河のわたりにとゞまりて、けさもむごに御心ちためらひて」など、いらへておこせば、今ぞおきゐたる、尼君をはぢらひて、そばみたるかたはらめ、これよりはいとよく見ゆ。誠にいとよしあるまみの程、かんざしのわたり、かれをも委しくつくづくとしも見給はざりし御かほなれど、これを見るにつけて唯それと思ひ出でらるゝに例の淚おちぬ。尼君のいらへうちする聲けはひのほのかなれど宮の御方にもいとよく似たりと聞ゆ。哀なりける人かな、かゝりけるものを今まで尋ねもしらで過しけることよ、これより口惜しからむきはのしなならむゆかりにてだに、かばかり通ひ聞えたらむ人を見ては、おろかにえ思ふまじき心ちするに、ましてこれは知られ奉らざりけれど誠に故宮の御子にこそはありけれと見なし給ひては限な