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たげに思ひて、あなたざまに向きてぞそひふしぬる。「さも心苦しげにおはしましつるかな。いづみ河の船わたりも誠にけふはいと恐しうこそありつれ。この二月には水のすくなかりしかばよかりしなりけり。いでやありきは、あづまぢを思へばいづこか恐しからむ」など、ふたりして苦しとも思ひたらずいひゐたるに、しうはおともせでひれふしたり。かひなをさし出でたるが、まろらかにをかしげなる程も常陸殿などいふべくも見えず誠にあてなり。やうやう腰痛きまでたちすくみ給へど人のけはひせじとて猶動かで見給ふに、若き人「あなかうばしや。いみじきかうのかこそすれ。尼君のたき給ふにやあらむ」とおどろく。おい人、「誠にあなめでたのものゝ香や。京びとはなほいとこそみやびかに今めかしけれ。てんがにいみじきことゝおぼしたりしかど、あづまにてかゝるたきものゝ香はえあはせ出で給はざりきかし。この尼君のすまひは、かくいとかすかにおはすれど、さうぞくのあらまほしう、にび色あを色といへどいときよらにぞあるや」など譽め居たり。あなたのすのこよりわらはきて、「御湯など參らせ給へ」とてをしきどもゝとりつゞきてさし入る。くだものとりよせなどしてものけ給はる。これなどおこせど驚かねば、ふたりして栗などやうのものにやほろほろとくふも、聞き知らぬ心ちにはかたはらいたくてしぞき給へど、又ゆかしくなりつゝ猶たちよりたちより見給ふ。これよりまさるきはの人々を、きさいの宮をはじめて、こゝかしこにてかたちよきも心あてなるをもこゝらあくまで見ならし給ふべけれど、おぼろけならでは目も心もとゞまらず、あまり人にもどかるゝまでものし給ふ御心ちに只今は、なにばかりすぐれて