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らうげのこがねづくり六つ、たゞのびらうげ二十、網代二つ、女房三十人、わらはしもづかへ八人づゝ侍ふに、又迎のいだし車十二、ほんぞの人々のせてなむありける。御送の上達部殿上人、六位など、いふかぎりなう淸らをつくさせ給へりけり。かくて心安くうち解けて見奉り給ふにいとをかしげにおはす。さゝやかにあてにしめやかにて、こゝはと見ゆる所なくおはすれば宿世の程口惜しからざりけりと心おごりせらるゝものから、過ぎにし方の忘らればこそはあらめ、猶まぎるゝをりなく物のみ戀しく覺ゆれば、この世にては慰めかねつべきわざなめり。佛になりてこそは怪しくつらかりける契のほどを何の報とあきらめて思ひはなれめと思ひつゝ、寺のいそぎにのみ心を入れ給へり。加茂の祭など、さわがしきぼど過して、二十餘日のほどに例の宇治へおはしたり。造らせ給ふ御堂見給ひて、すべきことゞもおきてのたまひなどして、さて例の朽木のもとを見給ひ過ぎむが猶哀なれば、そなたざまにおはするに、女車のことごとしきさまにはあらぬひとつ、あらましきあづまをとこの腰に物おへるあまた具して、しも人數多くたのもしげなる氣色にてはしより今渡りくる見ゆ。田舍びたるものかなと見給ひつゝ殿はまづ入り給ひて、ご前どもなどは又たち騷ぎたるほどに、この車もこの宮をさしてくるなりけりと見ゆ。御隨身どもかやかやといふをせいし給ひて「何人ぞ」と問はせ給へば聲うちゆがみたるもの、「常陸の前司殿の姬君の初瀨の御寺にまうでゝ歸り給へるなり。初めもこゝになむやどり給へりし」と申すに、おいや、聞きし人なゝりとおぼし出でゝ、人々をばことかたにかくし給ひて、「はや御車入れよ。此處に又ひとやどり給