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となびはて給ふめれば、いとゞわがかたざまはけどほくやならむ、又宮の御志も、えおろかならじと思ふは口惜しけれど又始よりの心おきてを思ふにはいとうれしうもあり。かくてその月二十日あまりのほどにぞ、藤壺の宮の御もぎのことありて、またの日なむ大將參り給ひける。その夜のことは忍びたるさまなり。天の下ひゞきていつくしく見えつる御かしづきにたゞ人のぐし奉り給ふぞ猶飽かず心苦しく見ゆる。「さる御ゆるしはありながらも只今かくしも急がせ給ふまじきことぞかし」とそしらはしげに思ひのたまふ人もありけれど、おぼしたちぬることすがすがしうおはします御心にて、きし方のためしなきまで同じくばもてなさむとおぼしおきつるなめり。みかどの御婿になる人は昔も今も多かれど、かく盛の御世にたゞ人のやうに婿とり急がせ給へるたぐひは少くやありけむ。左のおとゞも珍しかりける人の御おぼえ宿世なり。「故院だに朱雀院の御末にならせ給ひて、今はとやつし給ひしきはにこそかの母宮をえ奉り給ひしか、我はまいて人も許されぬものを、ひろひたりしや」とのたまひつれば宮はげにとおぼすに、恥しうて御いらへもえし給はず。三日の夜は大藏卿よりはじめて、かの御かたの心よせになさせ給へる人々けいしにおほせごとたまひて忍びやかなれど、かのごぜん、隨身、車ぞひ、舍人などまで祿たまはす。そのほどのことは私ごとのやうにぞありける。かくてのちは忍び忍びに參り給ふ。心のうちには猶忘れ難きいにしへざまのみ覺えて、晝は里に起き臥しながめくらして暮るれば心よりほかに急ぎ參り給ふも、ならはぬ心ちにいと物うく苦しうて、まかでさせ奉らむことをぞおぼしおきてける。母宮は