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煩しうものしきやうにおぼしなりて、またとも御覽じ入るゝことも侍らざりけり。あいなくそのことにおぼしこりて、やがて大かたひじりにならせ給ひにけるを、はしたなく思ひてえ侍はずなりにけるが、みちのくのかみのめになりてくだりけるをひとゝせのぼりて、その君たひらかに物し給ふよし、このわたりにもほのめかし申したりけるを聞し召しつけて、更にかゝるせうそこあるべきことにもあらずとのたまはせ放ちければ、かひなくてなむ歎き侍りける。さて又常陸になりてくだり侍りにけるが、この年頃おとにも聞え給はざりつるが、この春のぼりてかの宮には尋ね參りたりけるとなむほのぎゝ侍りし。かの君の年ははたちばかりになり給ひぬらむかし。いと美しく生ひ出で給ふが悲しきことなどこそ中頃は文にさへ書きつゞけてなむはべめりしか」と聞ゆ。委しう聞きあきらめ給ひて、さらば誠にてもあらむかし、見ばやと思ふ心出で來ぬ。「昔の御けはひにかけてもふれたらむ人は知らぬ國までも尋ね知らまほしき心ちのあるを、かずまへ給はざりけれど思ふにけぢかき人にこそはあなれ。わざとはなくともこのわたりに音なふ折あらむついでに、かくなむいひしと傅へ給へ」などばかりのたまひ置く。「母君は故北の方の御めひなり。辨も離れぬなからひに侍るべきを、そのかみはほかほかに侍りて委しうも見給へなれざりき。さいつころ京より大輔がもとより申したりしは、かの君なむいかでかの御墓にだに參らむとのたまふなる、さる心せよなど侍りしかど、まだこゝにさしはへてはおとなはず侍るめり。今さらにさ樣のついでにかゝるおほせごとなど傅へ侍らむ」と聞ゆ。明けぬれば歸り給はむとて、よべ後れてもて參