Page:Kokubun taikan 02.pdf/467

提供:Wikisource
このページは校正済みです

に思ひ聞かせ給ふめりし御氣色などの思ひ給へ出でらるゝに、かく思ひかけ侍らぬ世の末に、かくて見奉り侍るなむ、かの御世にむつましう仕う奉りおきししるしのおのづから侍りけると、嬉しくも悲しくも思ひ給へ知られ侍る。心うき命のほどにて、かくさまざまのことを見給へすぐし思ひ給へ知り侍るなむ、いと恥しう心うくなむ侍る。宮よりも時々は參りて見奉れ、覺束なくたえ籠りはてぬるは、こよなう思ひへだてけるなめりなどのたまはするをりをり侍れど、ゆゝしき身にてなむ。阿彌陀佛よりほかには見奉らまほしき人もなくなりにて侍る」など聞ゆ。故姬君の御事どもはたつきもせず、年頃の御有樣など語りて、何のをりなにとのたまひし、花紅葉の色を見ても、はかなくよみ給ひける歌がたりなどを、つきなからずうちわなゝきたれど、こめかしう、ことずくなゝるものから、をかしかりける人の御心ばへかなとのみ、いとゞ聞きそへ給ふ。宮の御方は今少しいまめかしきものから、心許さゞらむ人のためには、はしたなくもてなし給ひつべくこそものし給ふめるを我にはいと心深くなさけなさけしとは見えて、いかで過してむとこそ思ひ給へれなど心の中に思ひくらべ給ふ。さて物のついでに、かのかたしろのことをいひ出で給へり。「京にこの頃侍らむとはえ知り侍らず。人づてに承りしことのすぢなゝり。故宮のまだかゝる山ずみもし給はず、故北の方うせ給へりけるほど近かりけるころ中將の君とて侍ひける上臈の心ばせなどもけしうは侍らざりけるを、いと忍びてはかなきほどに物のたまはせけるを知る人も侍らざりけるに、をんなごをなむ產みて侍りけるを、さもやあらむとおぼすことのありけるからに、あいなく