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「いかにながめ給ふらむと思ひやるに、同じ心なる人もなき物語も聞えむとてなむ。はかなくも積る年月かな」とて淚をひとめうけておはするに、老びとはいとゞ更にせきもあへず、「人のうへにてあいなくものを思ほすめりし頃の空ぞかしと思ひ給へ出づるに、いつと侍らぬ中にも秋の風は身にしみてつらう覺え侍りて、げにかのなげかせ給ふめりしも、しるき世の中の御ありさまをほのかに承るもさまざまになむ」と聞ゆれば、「とあることもかゝることも、ながらふればなほるやうもあるを味氣なくおぼししみけむこそわがあやまちのやうに猶悲しけれ。この頃の御ありさまは何かそれこそよのつねなれ。されどうしろめたげには見え聞え給はざめり。いひてもいひてもむなしき空にのぼりぬる煙のみこそ誰ものがれぬことながら後れさきだつほどは猶いといふかひなかりけれ」とてもまた泣き給ひぬ。阿闍梨召して、例のかの御忌日の經佛のことなどのたまふ。「さて此處にかく時々ものするにつけても、かひなきことの安からず覺ゆるがいとやくなきを、この寢殿こぼちて、かの山寺の傍に堂建てむとなむ思ふを同じうはとく始めてむ」とのたまひて、堂いくつ廊ども僧房など、あるべきことゞも書きいでのたまひなどせさせ給ふを「いとたふときこと」と聞えしらす。「昔の人のゆゑある御住まひにしめ造り給ひけむ所をひきこぼたむもなさけなきやうなれど、その御志も功德の方にはすゝみぬべくおぼしけむを、とまり給はむ人々をおぼしやりて、えさはおきて給はざりけるにや。今は兵部卿宮の北の方こそは知り給ふべければ、かの宮の御料ともいひつべくなりにたり。さればこゝながら寺になさむことはびんなかるべし。