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けむことゝも思ひわかれ侍らず。物はかなき有樣どもにて世におちとまりさすらへむとすらむとのみうしろめたげにおぼしたりしことゞもを、唯一人かきあつめて思ひ知られ侍るに、又あいなきことをさへ打ち添へて人も聞き傳へむこそ、いといとほしかるべけれ」とのたまふ氣色を見るに、宮の忍びてものなどのたまひけむ人の、しのぶ草摘み置きたりけるなるべしと見知りぬ。似たりとのたまふゆかりに耳とまりて、「かばかりにても同じうはいひはてさせ給ひてよ」といぶかしがり給へど、さすがにかたはらいたくて、えこまかにも聞え給はず。「尋ねむとおぼす心あらば、そのわたりとは聞えつべけれど、委しうはしもえ知らずや。又あまりいはゞ御心おとりもしぬべきことになむ」とのたまへば、「世をうみなかにもたまのありかたづねには心の限りすゝみぬべきを、いとさまでは思ふべきにはあらざなれど、いとかく慰めむ方なきよりはと思ひより侍る。ひとかたの願ひばかりには、などてかは山里のほんぞんにも思ひ侍らざらむ。猶たしかにのたまはせよ」とうちつけにせめ聞え給ふ。「いさやいにしへの御許しもなかりしことを、かうまでももらし聞ゆるもかつはいと口かるけれど、へん化のたくみもとめ給ふいとほしさにこそ、かくも」とて、「いと遠き所に年頃へにけるを母なる人のいとうれはしきことに思ひてあながちに尋ねよりしを、はしたなくもえいらへで侍りしにものしたりしなり。ほのかなりしかばにや何事も思ひしほどよりは見苦しからずなむ見えし。これをいかさまにもてなさむと歎くめりしに、佛にならむはいとこよなきことにこそはあらめ。さまではいかでかは」など聞えたまふ。さりげなくてかう