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に、わざと寺などはなくとも昔覺ゆる人がたをもつくり繪にも書きとめて行ひ侍らむとなむ思ひ給へなりにたる」とのたまへば、「哀なる御願ひに又うたてみたらし川近き心ちする。人がたこそ思ひやりいとほしう侍れ。こがねもとむる繪師もこそなど、うしろめたうぞ侍るや」とのたまへば、「そよそのたくみも繪師もいかでか心にはかなふべきわざならむ。近き世に花ふらせたるたくみもはべりけるを、さやうならむへん化の人もかな」など、とざまかうざまに忘れむ方なきよしを歎き給ふ氣色のいと心深げなるも、いとほしうわづらはしうて今少しすべりよりて、「人がたのついでに、いと怪しく思ひよるまじきことをこそ思ひ出で侍れ」とのたまふけはひの少しなつかしきも、いと嬉しく哀にて、「何事にか」といふまゝに几帳のしたより手をとらふれば、いとうるさく思ひならるれど、いかさまにしてかゝる心をやめてなだらかにあらむと思へば、この近き人の思はむことのあいなくて、さりげなくもてなし給へり。「年頃は世にあらむとも知らざりし人の、この夏頃遠き處よりものして尋ね出でたりしを、疎くは思ふまじけれど、またうちつけに、さしも何かはむつび思はむと思ひ侍りしを、さいつころきたりしこそ、あやしきまで昔の人の御けはひに通ひたりしかば哀に覺えなり侍りしか、かたみなど、かう思ほしのたまふめるはなかなか何事もあさましうもてはなれたりとなむ皆人々もいひ侍りしを、いとさしもあるまじき人の、いかでかはありけむ」とのたまふを夢がたりかとまで聞く。「さるべき故あればこそは、さやうにもむつび聞えらるらめ。などか今までかくもかすめさせ給はざらむ」とのたまへば「いさや、その故もいかなり