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きものからおろかならず思ひそめ奉りしひとふしに、かのほいのひじり心はさすがにたがひやしにけむ、慰めばかりに此處にも彼處にも行きかゝづらひて人の有樣を見むにつけて紛るゝこともやあらむなど思ひよるをりをり侍れど、更にほかざまには靡くべうも侍らざりけり。よろづに思ひ給へわびては心のひく方の强からぬわざなりければ、すきがましきやうにおぼさるらむと恥しけれど、あるまじき心のかけても侍らばこそめざましからめ、唯かばかりの程にて時々思ふことをも聞えさせ承りなどして隔てなくのたまひ通はむを誰かは咎めいづべき。世の人に似ぬ心のほどは皆人にもどかるまじく侍るを猶うしろやすく思ほしたれ」など怨みゝなきみ聞え給ふ。「うしろめたく思ひ聞えば、かく怪しと人も見思ひぬべきまでは聞え侍るべくや。年頃こなたかなたにつけつゝ見知ることゞもの侍りしかばこそ、さまことなるたのもし人にて今はこれよりなどさへ驚かし聞ゆれ」とのたまへば「さやうなる折も覺え侍らぬものを、いとかしこきことにおぼしおきてのたまはするや、この御山里いでたちいそぎに辛うじてめしつかはせ給ふべき。それもげに御覽じしるかたありてこそはとおろかにやは思ひ侍る」などのたまひて、猶いとものうらめしげなれど聞く人あれば思ふまゝにもいかでかはつゞけ給はむ。との方をながめいだしたれば、やうやう暗うなりにたるに蟲の聲ばかりまぎれなくて、山の方をぐらくて何のあやめも見えぬに、いとしめやかなるさましてよりゐ給へるも煩はしとのみ內にはおぼさる。「限だにある」など、いと忍びやかにうちずじて「思ひ給へわびて侍り。音なしの里ももとめまほしきを、かの山里のわたり