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うしくおぼさるゝにこの院の御事をだに例の跡あるさまのかしこまりを盡しても得見せ奉らぬを世と共に飽かぬ心地し給ふも今年はこの御賀にことつけてみゆきなどもあるべくおぼしおきてけれど「世の中のわづらひならむこと更にせさせ給ふまじくなむ」といなび申し給ふこと度々になりぬれば口惜しくおぼしとまりぬ。しはすの二十日あまりのほどに中宮まかでさせ給ひて今年ののこりの御いのりに奈良の京の七大寺に御誦經、布四千段、この近き都の四十寺に絹四百疋をわかちてせさせ給ふ。ありがたき御はぐゝみをおぼし知りながら、何事につけてかは深き御志をも顯はし御覽ぜさせ給はむとて、父宮母御息所のおはせまし御ための志をも取り添へおぼすに、かうあながちにおほやけにも聞え返させ給へばことゞも多く留めさせ給ひつ。「四十の賀といふことはさきざきを聞き待るにも殘のよはひ久しきためしなむ少かりけるを、この度は猶世のひゞき留めさせ給ひて、誠に後にたらむことを數へさせ給へ」とありけれどおほやけざまにて猶いと嚴めしくなむありける。宮の坐します町の寢殿に御しつらひなどしてさきざきにことに變らず。上達部の祿など大きやうになずらへてみ子達には殊に女のさうぞく、非參議の四位、まうちきんだちなど、たゞの殿上人には白き細長一かさねこしざしなどまで次々にたまふ。御さう束限なく淸らを盡して名高き帶みはかしなど、故前坊の御方ざまにて傅はり參りたるも又哀になむ。ふるき世のひとつのものと名ある限は、皆つどひ參る御賀になむあめる。昔物語にも物得させたるを、かしこきことには數へ續けためれど、いとうるさくてこちたき御なからひのことゞもはえぞかぞへ