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らぬにはぢなきなめりかし、まろに美くしくこえ給へりし人の少しほそやぎたるに色はいよいよ白うなりてあてにをかしげなり、かゝる御うつりがなどのいちじるからぬをりだに愛ぎやうづきらうたき所などの猶人には多くまさりておぼさるゝまゝにはこれをはらからなどにはあらぬ人のけぢかくいひ通ひてことにふれつゝおのづから聲けはひをも聞き見馴れむはいかでかたゞにも思はむ、必ずしか思ひよりぬべきことなるをと我がいとくまなき御心ならひにおぼし知らるれば、常に心をかけてしるきさまなる文などやあると近きみ厨子こからびつなどやうのものをもさりげなくて見給へど、さるものもなし。唯いとすくよかにことずくなにてなほなほしきなどぞわざとしなけれど物にとりまぜなどしてもあるを、あやし猶いとかくのみはあらじかしとうたがはるゝに、いとゞけふはやすからずおぼさるゝことわりなりかし。かの人のけしきも心あらむ女の哀と思ひぬべきを、などてかはことの外にはさしはなたむ、いとよきあはひたればかたみにぞ思ひかはすらむかしと思ひやるぞわびしくはらだゝしくねたかりける。猶いとやすからざりければ、その日もえいで給はず。六條院には御文をぞ二たび三たび奉れ給ふを、いつのほどにつもる御言の葉ならむとつぶやくおい人どもゝあり。中納言の君は宮のかく籠りおはするを聞くにしも心やましく覺ゆれど、わりなしや、わが心のをこがましうあしきぞかし、うしろやすくと思ひそめてしあたりのことをかくは思ふべしやと、しひてぞ思ひ返して、さはいへどもえおぼし捨てざめりかしと嬉しくもあり、人々のけはひなどのなつかしきほどに、なえばみためりしを思ひやり給ひ