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ならむと思ひはてゝ、いとらうたげに心うつくしきさまにもてなし居給へれば、いとゞ哀に嬉しくおぼされて日頃のをこたりなどかぎりなくのたまふ。御腹も少しふくらかになりにたるに、かの恥ぢ給ふしるしの帶のひきゆはれたるほどなどいとあはれに、まだかゝる人をけぢかくても見給はざりければ珍しくさへおぼしたり。うち解けぬ所にならひ給ひてよろづのこと心安くなつかしうおぼさるゝまゝに、おろかならぬことゞもを盡せずのたまひ契るを聞くにつけても、かくのみことよきわざにやあらむとあながちなりつる人の御けしきも思ひ出でられて、年頃哀なる御心ばへとは思ひ渡りつれどかゝるかたざまにては哀をもあるまじきことと思ふにぞ、この御行くさきのたのめはいでやと思ひながらも少し耳とまりける、さてもあさましうたゆめたゆめて入り來たりしほどよ、昔の人にうとくて過ぎにしことなど語り給ひし心ばへはげにありがたかりけれど、猶うちとくべくあらざりけりかしなどいよいよ心づかひせらるゝにも、久しくとだえ給はむ事はいと物恐しかるべく覺え給へば、ことに出でゝはいはねど過ぎぬる方よりは少しまつはしざまにもてなし給へるを、宮はいとゞ限なう哀とおぼしたるに、かの人の御うつりがのいと深うしみ給へるが世の常の香のかにいれたきしめたるにも似ずしるき匂ひなるを、その道の人にしおはすれば怪しと咎めいで給ひて、いかなりしことぞとけしきとり給ふに、殊のほかにもてはなれぬことにしあればいはむかたなくわりなくていと苦しと覺えたるを、さればよ必ずさることはありなむ、よもたゞには思はじと思ひ渡ることぞかしと御心さわぎけり。さるはひとへの御ぞなど