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ことわり知らぬつらさのみなむ聞えさせむかたなく」とあり。御かへしなからむも人の例ならず見咎むべきをいと苦しければ「うけたまはりぬ。いとなやましうてえ聞えさせずとばかり書き給へるを、あまりことずくなゝるかなとさうざうしくて、をかしかりつる御けはひのみ戀しう思ひ出でらる。少し世の中をも知り給へるけにや、さばかりあさましうわりなしとは思ひ給へりつるものから、ひたぶるにいぶせくなどはあらでいとらうらうしく恥しげなる氣色もそひて、さすがになつかしういひこしらへなどしていだし給へるほどの御心ばへなどを思ひ出づるも妬うも悲しうもさまざまに心にかゝりてわびしくおぼゆ。何事もいにしへにはいと多くまさりて思ひ出でらる。何かはこの宮かれはて給ひなば我をたのもし人にし給ふべきにこそはあめれ、さてもあらはれて心安きさまにはえあらじを忍びつゝ又思ひます人なき心のとまりにてこそはあらめなど唯この事のみつと覺ゆるぞけしからぬ心なるや。さばかり心深げにさかしがり給へど男といふものゝ心うかりけることよ。なき人の御悲しさはいふかひなき方にてもいとかう苦しきまではなかりけり。これはよろづにぞ思ひめぐらされ給ひける。「今日は宮渡らせ給ひぬ」など人のいふを聞くにもうしろみの心はうせて胸うちつぶれていとうらやましう覺ゆ。宮は日頃になりにけるはわが御心さへうらめしうおぼされて俄に渡り給へるなりけり。何かは心隔てたるさまにも見え奉らじ、山里にと思ひたつにもたのもし人に思ふ人もうとましき心添ひ給へりけりと見給ふに、世の中いと所せう思ひなられて猶いとうき身なりけりと唯消えせぬほどはあるにまかせておいらか