Page:Kokubun taikan 02.pdf/452

提供:Wikisource
このページは校正済みです

ぞいとほしきや。男君はいにしへを悔ゆる心の忍びがたきなどもいとしづめがたかりぬべかめれど、昔だにありがたかりし御心の用意なれば猶いと思ひのまゝにももてなし聞え給はざりけり。かやうのすぢはこまかにもえなむまねびつゞけざりける。かひなきものから人めのあいなきを思へば、萬に思ひ返して出で給ひぬ。まだよひと思ひつれど、曉近うなりにけるを、見咎むる人もやあらむとわづらはしきも、女の御ためのいとほしきぞかし。惱ましげに聞き渡る御心ちはことわりなりけり。いと恥しと思ひ給へりつる腰のしるしに多くは心苦しう覺えてもやみぬるかな例のをこがましの心やと思へどなさけなからむことは猶いとほいなかるべし。又たちまちの我が心亂れにまかせてあながちなる心をつかひて後心安くしもえあらざらむものから、わりなく忍びありかむ程も心づくしに、女のかたがたおぼし亂れむことよなどさかしく思ふにせかれず今のまも戀しきぞわりなかりける。更に見ではえあるまじく覺え給ふもかへすがへすあやにくなる心なりや。昔よりは少し細やぎてあてにらうたかりつるけはひなどは、たちはなれたりとも覺えず、身にそひたる心ちして更にことごとも覺えずなりにたり。宇治にいと渡らまほしげにおぼい給ふめるをさもや渡し聞えてましなど思へど、まさに宮は許し給ひてむや、さりとて忍びてはたいとびんなからむ、いかさまにしてかは人目見苦しからで思ふ心の行くべきなど、心もあくがれてながめふし給へり。まだいと深きあしたに御文あり。例のうはべはいとけざやかなるたてぶみにて、

 「いたづらにわけつるみちの露しげみむかしおぼゆる秋の空かな。御けしきの心うさは