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何事かはいはれむ、ものもいはでいとゞひき入り給へば、それにつきていとなれがほになからは內に入りてそひふし給へり。「あらずや。忍びてはよかるべうおぼすこともありけるが、嬉しきはひがみゝかと聞えさせむとぞうとうとしくおぼすべきにもあらぬを、心うの御けしきや」と怨み給へば、いらへすべき心ちもせず、思はずににくゝ思ひなりぬるを、せめて思ひしづめて、「思ひの外なりける御心のほどかな。人の思ふらむことよ。あさまし」とあばめて泣きぬべき氣色なる、少しはことわりなればいとほしけれど、「これはとがあるばかりのことかは。かばかりの對面はいにしへをもおぼし出でよかし。すぎにし人の御許しもありしものを、いとこよなうおぼされにけるこそ、なかなかうたてあれ。すきずきしくめざましき心はあらじと心安くおぼせ」とていとのどやかにもてなし給へれど、月頃悔しと思ひ渡る心のうちの苦しきまでなり行くさまをつぶつぶといひつゞけ給ひて、許すべきけしきにもあらぬに、せむ方なくいみじとも世の常なり、なかなかむげに心知らざらむ人よりも恥しう心づきなくてない給ひぬるを、「こはなぞ。あなわかわかし」とはいひながらいひ知らずらうたげに心苦しきものから用意深く恥しげなるけはひなどの、見し程よりもこよなくねびまさり給へりけるなどを見るに、心からよそ人にしなしてかく安からず物を思ふことと悔しきにも又げにねはなかれけり。近うさぶらふ女房二人ばかりあれど、すゞろなる男の入り來たるならばこそはこはいかなることぞとも參りよらめ、かくうとからず聞えかはし給ふ御なからひなめればさるやうこそはあらめと思ふにかたはらいたければ、知らずがほにてやをらしぞきぬる