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ゝらむずる事とは思ひしかどさしあたりてはいとかうしもやは名殘なかるべき、げに心あらむ人は數ならぬ身を知らでまじらふべき世にもあらざりけりと、かへすがへすも山路わけ出でけむ程うつゝとも覺えず悔しく悲しければ、猶いかで忍びて渡りなむ、むげに背くさまにはあらずともしばし心をも慰めばや、にくげにもてなしなどもせばこそうたてもあらめなど心ひとつに思ひあまりて、恥しけれど中納言殿に御文奉れ給ふ。「一日の御ことは阿闍梨の傅へたりしに委しう聞き侍りにき。かゝる御心の名殘なからましかばいかにいとほしくと思ひ給へらるゝにもおろかならずのみなむ。さりぬべくはみづからも」と聞え給へり。みちのくにがみにひきもつくろはずまめだちて書き給へるしもいとをかしげなり。故宮の御忌日に例の事どもいとたふとくせさせ給へりけるを、喜び聞え給へるさまのおどろおどろしうはあらねどげに思ひ知り給ふなめりかし。例はこれより奉る御返りをだに、うち解けずつゝましげにおぼしてはかばかしくも續け給はぬを、みづからとさへのたまへるが珍しく嬉しきに心ときめきもしぬべし。宮の今めかしくこのみたち給へる程にておぼし怠りにけるも、げに心苦しくおしはからるればいと哀にて、をかしやかなることもなき御文をうちもおかずひき返しひき返し見居給へり。御返りはうけ給はりぬ。「一日はひじりだちたるさまにて殊更に忍び侍りしも、さ思ひ給ふるやう侍るころほひにてなむ名殘とのたまはせたるこそ、少し淺くなりにたるやうにとうらめしう思ひ給へらるれ。よろづは今さぶらひてなむ。あなかしこ」とすくよかに白き色紙のこはごはしきにてあり。さて又の日の夕つ方ぞ