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めのたはぶれごとをもいひそめ給へる人の、けぢかくてだに見奉らばやとのみ思ひ聞ゆるにや。あながちに世を背き給へる宮の御方にえんを尋ねつゝ參り集まりて侍らふも、哀なることほどほどにつけつゝ多かるべし。宮は女君の御ありさまひるみ聞え給ふにいとゞ御志まさりにけり。おほきさよき程なる人のやうだいいと淸げにて、髮のさがりばかしらつきなどぞものよりことにあなめでたと見え給ひける。色あひあまりなるまで匂ひて、ものものしくけだかき顏のまみいと恥しげにらうらうしう、すべて何事もたらひてかたちよき人といはむに飽かぬ所なし。はたちにひとつふたつぞあまりたまへりける。いはけなき程ならねばかたなりに飽かぬ所なく、あざやかに盛の花と見え給へり。限なくもてかしづき給へるにかたほならず。げに親にては心も惑はし給ひつべかりけり。唯やはらかにあいぎやうづきらうたきことはかの對の御方はまづおぼし出でられける。物のたまふいらへなども、はぢらひ給へれど又あまり覺束なくはあらず。すべていとみどころおほくかどかどしげなり。よき若人ども三十人ばかり、わらは六人、かたほなるなく、さうぞくなども例の麗はしきことはめなれておぼさるべかめれば、引きたがへ心得ぬまでこのみそし給へる。三條殿腹のおほい君を春宮に參らせ給へるよりも、この御ことをばいとことに思ひおきて聞え給へるも、宮の御おぼえありさまからなめり。かくてのち二條院にえ心安くも渡り給はず。かろらかなる御身ならねばおぼすまゝに晝の程などもえ出で給はねば、やがて同じ南の町に年頃ありしやうにおはしまして、暮るれば又えひきよぎても渡り給はずなどして待遠になるをりをりあるを、か