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をいとめやすくもてなし給ふめりつるかなと、宮の御ありさまをめやすく思ひ出で奉り給ふ。げに我にてもよしと思ふをんなごをもたらましかば、この宮をおき奉りてうちにだにえ參らせざらましと思ふに、誰も誰も宮に奉らむと心ざし給へるむすめは猶源中納言にこそと、とりどりにいひならぶなるこそ我がおぼえの口惜しくはあらぬなめれ、さるはいとあまり世づかずふるめいたるものをなど心おごりもせらる。うちの御けしきあること誠におぼしたらむに、かくのみものうく覺えばいかゞすべからむ、おもだゝしき事にはありともいかゞはあらむ、いかにぞ故君にいとよく似給へらむ時に嬉しからむかしと思ひよらるゝはさすがにえもてはなるまじき心なめりかし。例のねざめがちなるつれづれなれば、あぜちの君とて人よりは少し思ひまし給へるがつぼねにおはして、その夜は明し給ひつ。明け過ぎたらむを人の咎むべきにもあらぬに、苦しげに急ぎおき給ふを、たゞならず思ふべかめり。

 「うちわたし世にゆるしなき關川をみなれそめけむ名こそをしけれ」。いとほしければ、

 「深からずうへは見ゆれどせき川のしたのかよひはたゆるものかは」。深しとのたまはむにてだにたのもしげなきを、このうへの淺さはいとゞ心やましう覺ゆらむかし。妻戶を押しあけて「まことはこのそらを見給へ。いかでかこれを知らず顏にてはあかさむとよ。えんなる人まねにはあらで、いとゞ明しがたくなり行くよなよなのねざめにはこの世後の世までなむ思ひやられて哀なる」などいひまぎらはしてぞ出で給ふ。殊にをかしきことのかずを盡さねどさまのなまめかしき見なしにやあらむ、なさけなくなどは人に思はれ給はず。かりそ