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 「おほかたにきかましものをひぐらしの聲うらめしき秋の暮かな」。今宵はまだふけぬにいで給ふなり。御さきの聲の遠くなるまゝにあまも釣するばかりになるも、我ながらにくき心かなと思ふ思ふ聞き臥し給へり。はじめより物を思はせ給ひし有樣などを思ひ出づるもうとましきまでおもほゆ。このなやましき事もいかならむとすらむ、いみじう命短きぞうなれば、かやうならむついでにもやはかなくなりなむとすらむなど思ふには惜しからねど、悲しうもあり又いと罪深うもあなるものをなどまどろまれぬまゝに思ひ明し給ふ。その日はきさいの宮なやましげにおはしますとて、誰も誰も參りつどひ給へれど、いさゝかなる御かぜにおはしましければことなることもおはしまさずとて、おとゞは晝まかで給ひにけり。中納言の君さそひ聞え給ひてひとつ御車にてぞまかで給ひにける。今宵の儀式いかならむ、淸らを盡さむとおぼすべかめれど限あらむかし。この君も心恥しけれど、したしきかたの覺えはわがかたざまに又さるべき人もおはせず、物のはえにせむに心ことにはたおはする人なればなめりかし。例ならずいそがしうまうで給ひて、人の御うへに見なしたるを、口惜しとも思へらず、なにやかやともろ心にあつかひ給へるを、おとゞは人知れずなまねたしとぞおぼしける。よひ少し過ぐる程におはしましたり。寢殿の南の廂ひんがしによりておまし參れり。御臺八つ、例の御皿などうるはしげに淸らにて又ちひさき臺二つにけそくの皿どもいといまめかしうせさせ給ひてもちひ參らせ給へり。珍しからぬことかきおくこそにくけれ。おとゞ渡り給ひて、「夜いたう更けぬるを」と女房してそゝのかし聞え給へどいとあされて