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ば、あいなく淚ぐまれてしばしうちまもり聞え給ふを、恥しくおぼしてうちうつぶし給へる髮のかゝりかんざしなど猶いとありがたげなり。宮もなまはしたなきにこまやかなることなどはふともえ言ひ出で給はず、おもがくしにや、「などかくのみなやましげなる御けしきならむ。あつきほどのこととかのたまひしかば、いつしかとすゞしきほど待ち出でたるも猶はればれしからぬは見苦しさわざかな。さまざまにせさすることもあやしうしるしなき心地のみこそすれ。さはありともずほふはまたのべてこそはよからめ。しるしあらむ僧もがな。なにがし僧都をぞよゐにさぶらはすべかりける」などやうなるまめごとをのたまへば、かゝるかたにもことよきは心づきなく覺え給へど、むげにいらへ聞えざらむもれいならねば、「昔もあやしう人に似ぬありさまにてかやうの折は侍りしかど、おのづからいとよくをこたるものを」とのたまへば、「いとよくこそさはやかなれ」と打ち笑ひて、なつかしうあいぎやうづきたるかたはこれにならぶ人はあらじかしと思ひながら、猶又とくゆかしきかたの心いられも立ちそひ給へるは御志のおろかにもあらぬなめりかし。されど見給ふほどはかはるけぢめもなきにや、後の世までと誓ひたのめ給ふことゞものつきせぬを聞くにつけても、「げにこの世はいと短かゝめる。命まつまもつらき御心に見えぬべければ後の契やたがはぬ事もあらむと思ふにこそ、猶こりずまに又もたのまれぬべけれ」とていみじうねんずべかめれど得忍びあへぬにやけふは泣き給ひね。日ごろもいかでかく思ひけりと見え奉らじとよろづに思ひまぎらはしつるを、さまざまに思ひ集むることし多かればさのみもえも