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いざよひの月やうやうさしあがるまで心もとなければ、いとしも御心にいらぬことにていかならむと安からずおぼしてあないし給へば、「この夕つかたうちより出で給ひて二條院になむおはしますなる」と人申す。おぼす人も給へればと心やましけれど、こよひ過ぎぬも人わらへなるべければ、御子の頭中將して聞え給へり。

 「大ぞらの月だにやどるわが宿にまつよひすぎて見えぬ君かな」。宮はなかなか今なむとも見えじ心苦しとおぼしてうちにおはしけるを、御文聞え給へりける。御返りやいかゞありけむ。猶いと哀におぼされければ忍びて渡り給へりけるなり。らうたげなる有樣を見捨てゝ出づべき心ちもせず、いとほしければよろづに契りつゝ慰めかねてもろともに月を眺めておはするほどなりけり。女君は日頃もよろづに思ふ事多かれどいかでけしきにいださじとよろづに念じ返しつゝつれなきさまし給ふことなれば、殊に聞きも咎めぬさまにおほどかにもてなしておはするさまいと哀なり。中將の參り給へるを聞き給ひて、さすがにかれもいといとほしければ出で給はむとて、「今いと疾く參りこむ。ひとり月な見給ひそよ。心そらなればいと苦し」と聞えおき給ひて、なまかたはらいたければかくれのかたより寢殿へ渡り給ふ。御うしろでを見送るに、ともかくも覺えねど唯枕のうきぬべき心ちのすれば、心憂きものは人の心なりけりとわれながら思ひ知らる。をさなきほどより心ぼそく哀なる身どもにて世の中を思ひとゞめたるさまにもおはせざりし。一所をたのみ聞えさせてさる山里に年經しかど、唯いつとなくつれづれにすごうはありながらいとかく心にしみて世をうきも