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佛などこの上も供養じ給ふべきなめり。かやうなるついでにことつけてやをら籠り居なばやとおもむけ給へるけしきなれば、「いとあるまじきことなり。猶何事も心のどかにおぼしなせ」など敎へ聞え給ふ。日さしあがりて人々參り集まりなどすればあまり長居もことあり顏ならむによりいで給ひなむとて、「いづこにてもみすのとにはならひ侍らねばはしたなき心ちし侍りてなむ。今又かやうにもさぶらはむ」とて立ち給ひぬ。宮のなどかなき折にはきつらむと思ひ給ひぬべき御心なるもわづらはしくて、侍のべたうなる右京のかみ召して「よべまかでさせ給ひぬと承りて參りつるをまだしかりければ口惜しきを、うちにや參るべき」とのたまへば「今日はまかでさせ給ひなむ」と申せば「さらば夕つ方も」とて出で給ひぬ。猶この御けはひありさまを聞き給ふたびごとに、などて昔の人の御心おきてをもてたがへて思ひぐまなかりけむと、くゆる心のみまさりて心にかゝりたるもむつかしく、なぞや人やりならぬ心ならむと思ひかへし給ふ。そのまゝにいまださうじにていとゞおこなひをのみし給ひつゝ明し暮したまふ。母宮は猶いと若くおほどきて物しどけなき御心にも、かゝる御けしきをいとあやふくゆゝしとおぼして「いく世しもあらじを、見奉らむほどはかひあるさまにて見え給へ。世の中を思ひ捨て給はむをもかゝる身にてはさまたげ聞ゆべきにもあらぬを、この世にてはいふかひなき心地すべき心惑ひにいとゞ罪やうらむ」とのたまふが辱くいとほしくて、よろづを思ひけちつゝ御前にては物思ひなきさまをつくり給ふ。左のおほい殿には六條院の東のおとゞを磨きしつらひて限なくよろづをとゝのへて待ち聞え給ふに、