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もしまぬにや侍りけむ。猶この近き夢こそさますべきかたなく思ひ給へらるゝはおなじごと世の常なきかなしびなれど、罪深きかたはまさりて侍るにやとそれさへなむ心憂く侍る」とて泣き給へるほどいと心深げなり。むかしの人をいとしも思ひ聞えざらむ人だに、この人の思ひ給へる御けしきを見むにはすゞろにたゞにもあるまじきを、まいてわれも物を心ぼそく思ひ亂れ給ふにつけては、いとゞ常よりも面影に戀しく悲しく思ひ聞え給ふ心なれば、今すこしもよほされて物も得聞え給はずためらひかね給へるけはひをかたみにいと哀と思ひかはし給ふ。「世のうきよりはなど人はいひしをも、さやうに思ひくらぶる心もことになくて年ごろは過し侍りしを、今なむ猶いかでしづかなるさまにても過さまほしく思ひ給ふるを、さすがに心にもかなはざめれば辨の尼こそうらやましく侍れ。この二十日あまりの程はかの近き寺の鐘の聲も聞き渡さまほしく覺え侍るを、忍びて渡させ給ひてむやと聞えさせばやとなむ思ひ侍りつる」とのたまへば「あらさじとおもほすとも、いかでかは。心やすきをのこだにいとゆきゝのほどあらましき山道に侍れば思ひつゝなむ月日も隔たり侍る。故宮の御忌日は、かの阿闍梨にさるべき事ども皆いひおき侍りにき。かしこは猶たふときかたにおぼしゆづりてよ。時々見給ふるにつけては心惑ひの絕えせぬもあいなきに罪うしなふさまになし侍りなばやとなむ思ひ侍るを、またいかゞ思しおきつらむ。ともかくも定めさせ給はむに隨ひてこそはとてなむ。あるべからむやうにのたまはせよかし。何事もうとからずうけたまはらむのみこそほいかなふにては侍らめ」などまめだちたることゞもを聞え給ふ。經