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 「よそへてぞ見るべかりける白露の契りかおきし朝顏の花」。ことさらびてしももてなさぬに露を落さでもたまへりけるよとをかしく見ゆるに、おきながら枯るゝけしきなれば、

 「消えぬまにかれぬる花のはかなさにおくるゝ露はなほぞまされる。何にかゝれる」といと忍びてこともつゞけずつゝましげにいひけち給へるほど猶いとよく似給へるかなと思ふにもまづぞかなしき。「秋の空は今少しながめのみまさり侍る。つれづれのまぎらはしにもとてさいつころ宇治に物して侍りき。庭もまがきもまとにあれはてゝ侍りしに堪へがたきこと多くなむ。故院のうせ給ひて後、二三年ばかりの末に世をそむき給ひし、嵯峨の院にも六條院にもさしのぞく人の心をさめむ方なくなむ侍りける。木草の色につけても水の流にそへても淚にくれてのみなむ歸り侍りける。かの御あたりの人はかみしも心淺き人なくなむ惑ひ侍りけるまゝに、かたがたつどひものせられける人々も皆ところどころにあがれちりつゝおのおの思ひ離るゝ住まひをし給ふめりしに、はかなき程の女房などはまして心をさめむかたなく覺えけるまゝに、物覺えぬ心にまかせつゝ山はやしに行きまじり、すゞろなる田舍人になりなど哀に惑ひちるこそ多く侍りけれ。さてなかなか皆あらしはて忘草おほして後なむこの左のおとゞも渡りすみ、宮達などもかたがたものし給へば昔に返りたるやうに侍るめる。さる世にたぐひなき悲しさと見給へしほどのことも、年月ふれば思ひさますをりの出でくるにこそはと見給ふるに、げにかぎりあるわざなりけりとなむ見え侍りし。かくは聞えさせながらも、かのいにしへの悲しさはまだいはけなく侍りける程にていとさし