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のさぶらはむにことわりなるやすみどころはそれもまた唯御心なれば憂へ聞ゆべきにも侍らず」とてなげしにおしかゝりて坐すれば、例の人々「猶あしこもとに」などそゝのかし聞ゆ。もとよりけはひはやりかに雄々しくなどは物し給はぬ人がらなるをいよいよしめやかにもてなしをさめ給へれば、今はみづから聞え給ふこともやうやううたてつゝましかりしかた、少しづゝうすらぎておもなれ給ひにたり。「惱ましうおぼさるらむさまもいかなれば」など問ひ聞え給へどはかばかしくも御いらへ聞え給はず、常よりもしめり給へるけしきの心苦しきも哀におしはかられ給ひて、こまやかに世の中のあるべきやうなどをはらからやうのものゝあらましやうに敎へ慰め聞えたまふ。聲などもわざと似給へりとも覺えざりしかど、あやしきまで唯それとのみ聞ゆるに、人め見苦しかるまじくはすだれもひきあけてさしむかひ聞えまほしく、うち惱み給へらむかたちゆかしう覺え給ふも、猶世の中に物思はぬ人もえあるまじきわざにやあらむとぞ思ひ知られ給ふ。人々しくきらきらしきかたには侍らずとも心に思ふことあり、なげかしく身をもてなやむさまになどはなくて過ぐしつべきこの世とみづから思ひ給へしを、心から悲しきこともをこがましく悔しき物思ひをもかたがたに安からず思ひ侍るこそいとあいなけれ。つかさくらゐなどいひて大事にすめることわりのうれへにつけて歎き思ふ人よりも、これや今少し罪の深さはまさるらむ」などいひつゝをり給へる花を扇にうち置きて見居給へるが、やうやうあかみもて行くもなかなか色はひをかしう見ゆれば、やをらさしいれて、