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と恥しう悲しくおぼせど、何かはかひなきものからかゝるけしきをも見え奉らむと忍びかへしつゝ聞きも入れぬさまにてすぐし給ふ。宮は常よりも哀になつかしうおきふし語らひ契りつゝ、この世のみならず長きことをのみぞたのめ聞え給ふ。さるはこのさつきばかりより例ならぬさまに惱しうし給ふこともありけり。こちたく苦しがりなどはし給はねど常よりも物參ることいとゞなくふしてのみおはするを、まださやうなる人の有樣などよくも見知り給はねば、たゞあつき頃なればかくおはするなめりとぞおぼしける。さすがに怪しとおぼし咎むることもありて「もしいかなるぞ。さる人こそさやうには惱むなれ」などのたまふ折もあれど、いと恥しうし給ひてさりげなくのみもてなし給へるを、さし過ぎ聞え出づる人もなければたしかにも得知り給はず。八月になりぬればその日などほかよりぞ傅へ聞き給ふ。宮は隔てむとにはあらねどいひ出でむ程心苦しういとほしくおぼされてさものたまはぬを女君はそれさへぞ心憂く覺え給ふ。忍びたることもあらず世の中なべて知りたることをその程などだにのたまはぬことゝ、いかゞうらめしからざらむ。かく渡り給ひにし後はことなることなければうちに參り給うてもよるとまることはことにし給はず、こゝかしこの御よがれなどもなかりつるを、俄にいかに思ひ給はむと心苦しきまぎらはしに、この頃は時々御とのゐとて參りなどし給ひつゝかねてよりならはし聞え給ふをも唯つらき方にのみぞ思ひおかれ給ふべき。中納言殿もいといとほしきわざかなと聞き給ふに、花ごゝろにおはする宮なれば哀とはおぼすともいまめかしきかたに必ず御心うつろひなむかし、女がたもい