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しきしななりともかの御ありさまに少しも覺えたらむ人は心もとまりなむかし。昔ありけむ香の烟につけてだに今ひとたび見奉るものにもがなとのみ覺えて、やんごとなき方ざまにいつしかなどは急ぐ心もなし。左のおほい殿には急ぎたちて八月ばかりにと聞え給ひてけり。二條院の對の御方には聞き給ふに、さればよ、いかでかは數ならぬ有樣なめれば、必ず人笑へに憂き事出でこむものぞとは思ふおもふ過しつる世ぞかし、あだなる御心と聞き渡りしをたのもしげなく思ひながら、めに近くては殊につらげなることも見えず哀に深き契をのみし給へるを、俄にかはり給はむほどいかゞはやすき心地はすべからむ、たゞ人のなからひなどのやうにいとしも名殘なくなどはあらずとも、いかにやすげなきこと多からむ、猶いと憂き身なめれば遂には山住みに歸るべきなめりなどおぼすにも、やがて跡絕えなましよりは山がつの待ち思はむも人笑へなりかし、かへすがへすも故宮ののたまひ置きしことにたがひて草のもとおかれにける心かるさを恥しうもつらくも思ひ知られ給ふ。故姬君のいとしどけなくものはかなきさまにのみ何事をも思しのたまひしかど、心の底のつしやかなる所はこよなくもおはしけるかな、中納言の君の今に忘らるべき世なく歎き渡り給ふめれど、若し世におはせましかば又かやうにおぼす事はありもやせまし、それをいとふかういかでさはあらじと思ひ入り給ひてとざまかうざまにもて離れむことをおぼしてかたちをもかへてむとし給ひしぞかし、必ずさるさまにてぞおはせまし、今思ふに、いかにおもりかなる御心おきてならまし、なき御かけどもゝ我をばいかにこよなきあはつけさと見給ふらむ