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みこたちは御後見からこそともかくもあなれ、うへの御世も末になり行くとのみおぼしのたまふめるをたゞ人こそひとかたにさだまりぬれば又心をわけむこともかたげなめれ。それだにかのおとゞのいとまめだちながらこなたかなたうらやみなくもてなしてものし給はずやはある。ましてこれは思ひおきて聞ゆることもかなはゞあまたも侍はむになどかあらむ」など例ならずことつゞけてあるべかしう聞えさせ給ふに、我が御心にももとよりもてはなれてはたおぼさぬことなればあながちにはなどてかはあるまじきさまにも聞えさせ給はむ、唯いとことうるはしげなるあたりにとりこめられて心安くならひ給へるありさまの所せからむことをなまぐるしくおぼすに物うきなれど、げにこのおとゞにあまりゑんぜられてむもあいなからむなどやうやうおぼしよわりにたるなるべし。あだなる御心なればかのあぜちの大納言の紅梅の御方をもなほおぼしたえず、花紅葉につけてものたまひ渡りつゝ、いづれをもゆかしうはおぼされけり。されどその年は變りぬ。女二宮も御ぶくはてぬればいとゞ何事にかは憚り給はむ。「さも聞え出でばとおぼし召したる御けしきになむ」と吿げ聞ゆる人々もあるを、あまりしらず顏ならむもひがひがしうなめげなりなどおぼしおこして、さるべきたよりしてけしきばみ聞え給ふをりをりもあるに、はしたなきやうはなどてかはあらむ。その程におぼし定めたなりとつてにも聞きみづから御氣色をも見れど、心のうちには猶飽かで過ぎ給ひにし人の悲しさのみ忘らるべき世なくおぼゆれば、うたてかく契深く物し給ひける人のなどてかはさすがにうとくてはすぎにけむと心得難く思ひ出でらる。口惜