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寄生

その頃藤壺と聞ゆるは故左大臣殿の女御になむおはしける。まだ春宮と聞えさせし時人よりさきに參り給ひにしかば、むつましう哀なる方の御思ひはことに物し給ふめれど、そのしるしと見ゆるふしもなくて年經給ふに、中宮には宮達さへあまたこゝらおとなび給ふめるに、さやうのことも少なくて唯女宮一所をぞ持ち奉り給へりける。わがいと口惜しう人におされ奉りぬる宿世歎かしく覺ゆるかはりに、この宮をだにいかで行末の心も慰むばかりにて見奉らむとかしづき聞え給ふことおろかならず。御かたちもいとをかしくおはすれば帝もらうたきものに思ひ聞えさせ給へり。女一宮を世にたぐひなきさまにもてかしづき聞えさせ給ふに、おほかたの世のおぼえこそ及ぶべうもあらね、うちうちの御有樣はをさをさ劣らず。父おとゞの御いきほひいかめしかりし名殘いたく衰へねば、殊に心もとなきことなどなくて、侍ふ人々のなりすがたよりはじめたゆみなく時々につけつゝとゝのへ好みて、今めかしくゆゑゆゑしきさまにもてなし給へり。十四になり給ふ年、御裳着せ奉り給はむとて春よりうちはじめて、ことごとなくおぼし急ぎて何事もなべてならぬさまにとおぼしまうく。いにしへより傅はりける寶物ども、この折にこそはと搜し出でつゝいみじく營み給ふに、女御夏頃ものゝけに煩ひ給ひていとはかなくうせ給ひぬ。いふかひなく口惜しきことを內