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る事多くも侍るかな」と聞えて、うち眺めて物し給ふけしき心苦しげなるを、げにおはせましかば、覺束なからず行きかへり、かたみに花の色鳥の聲をも折につけつゝ少し心ゆきてすぐしつべかりける世をなどおぼし出づるにつけては、ひたぶるに堪へ給へりし住ひの心ぼそさよりも飽かず悲しう口惜しきことぞいとゞまさりける。人々も「世の常にうとうとしくなもてなし聞え給ひそ。かぎりなき御心のほどをば、今しもこそ見奉り知らせ給ふさまをも見え奉らせ給ふべけれ」など聞ゆれど、人づてならずふとさし出で聞えむ事の猶つゝましきを、やすらひ給ふ程に、宮出で給はむとて御まかり申しに渡り給へり。いと淸らにひき繕ひけさうじ給ひて見るかひある御さまなり。中納言はこなたになりけりと見給ひて、「などかむげにさし放ちては出しすゑ給へる。御あたりにはあまりあやしと思ふまでうしろやすかりし心よせを、我がためはをこがましきこともやと覺ゆれど、さすがにむげにへだて多からむは罪もこそうれ。近やかにて昔物語もうち語らひ給へかし」など聞え給ふものから「さはありともあまり心ゆるびせむも又いかにぞや。疑はしきしたの心にもぞあるや」とうち返しのたまへば、一かたならずわづらはしけれど、我が御心にもあはれ深く思ひしられにし人の御心を、今しもおろかなるべきならねば、かの人も思ひのたまふめるやうに、いにしへの御かはりとなずらへ聞えて、かう思ひ知りけりと見え奉るふしもあらばやとはおぼせど、さすがにとやかくやと方々にやすからず聞えなし給へば、苦しうおぼされけり。