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思ひしづみ給へるを見れば、さきの世もとりわきたる契もやものし給ひけむと思ふさへ、むつましくあはれになむ」とのたまふに、いよいよわらはべの戀ひて泣くやうに心をさめむ方なくおぼゝれ居たり。皆かきはらひよろづとりしたゝめて御車ども寄せて、御ぜんの人々四位五位いとおほかり。御みづからもいみじうおはしまさまほしけれど、ことごとしくなりてなかなかあしかるべければ、唯忍びたるさまにもてなして心もとなくおぼさる。中納言殿よりも、ご前の人々數おほく奉れ給へり。大かたの事をこそ宮よりはおぼし置きつめれ。細やかなるうちうちの御あつかひは唯この殿より思ひよらぬことなくとぶらひ聞え給ふ。日暮れぬべしと、內にもとにも催し聞ゆるに心あわたゞしう、いづちならむと思ふにもいとはかなく悲しとのみおぼえ給ふに、御車に乘る。たいふの君といふ人のきこゆ。

 「ありふればうれしきせにも逢ひけるを身をうぢ河になげてましかば」。うちゑみたるを、辨の尼の心ばへにこよなうもあるかなと心づきなう見給ふ。今ひとり、

 「過ぎにしが戀しきことも忘れねど今日はたまづもゆくこゝろかな」。いづれも年經たる人々にて皆かの御かたをば心よせまほしく聞えためりしを、今はかく思ひ改めてこといみするも心うの世やとおぼえ給へば物もいはれ給はず、道のほどはるけくけはしき山路のありさまを見給ふにぞ、つらきにのみ思ひなされし人の御中のかよひを、ことわりのたえまなりけりと少しおぼし知られける。七日の月のさやかにさし出でたる影をかしく霞みたるを見給ひつゝ、いと遠きにならはず苦しければうちながめられて、