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思ひぼけたるさまながら、物うちいひたる氣色用意口をしからずゆゑありける人の名殘と見えたり。

 「さきに立つ淚の川に身をなげば人におくれぬいのちならまし」とうちひそみ聞ゆ。「それもいと罪深かなることにこそ。かの岸にいたること、などかさしもあるまじき事にて深き底に沈みすぐさむもあいなし。すべて空しく思ひとるべき世になむ」などのたまふ。

 「身を投げむ淚の川にしづみても戀しきせゞに忘れしもせじ」。いかならむ世に少しも思ひ慰むることありなむと、はてもなき心ちし給ふ。かへらむ方もなく眺められて日も暮れにけれど、すゞろに旅寢せむも人の咎むることやとあいなければかへり給ひぬ。おもほしのたまへるさまをかたりて、辨はいとゞ慰め難くくれ惑ひたり。皆人は心ゆきたる氣色にて物ぬひいとなみつゝ、老いゆがめるかたちもしらずつくろひさまよふに、いよいよやつして、

 「人は皆急ぎたつめる袖のうらにひとりもしほをたるゝあまかな」とうれへ聞ゆれば、

 「しほたるゝあまの衣にことなれやうきたる浪にぬるゝわが袖。世にすみつかむこともいとありがたかるべきわざとおぼゆれば、さまに隨ひてこゝをばあれはてじとなむおもふを、さらば對面もありぬべけれど、暫しのほども心ぼそくて立ちとまり給ふを見おくに、いとゞ心もゆかずなむ。かゝるかたちなる人も必ずひたぶるにしも堪へ籠らぬわざなめるを、猶世のつねに思ひなして時々も見え給へ」など、いとなつかしう語らひ給ふ。昔の人のもてつかひ給ひしさるべき御調度どもなどは、皆この人にとゞめ置き給ひて、「かく人より深く