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てたえだえ聞えたるを、懷しげにうちずしなして、

 「袖ふれし梅はかはらぬにほひにてねごめうつろふ宿やことなる」。堪へぬ淚をさまよくのごひかくしてこと多くもあらず「又も猶かやうにてなむ何事も聞えさせよるべき」など聞え置きて立ち給ひぬ。御わたりにあるべき事ども人々にのたまひおく。このやどもりに、かの髭がちの殿居人などはさぶらふべければ、このわたりの近きみさうどもなどに、その事どものたまひあづけなどまめやかなる事どもをさへ定め置き給ふ。辨ぞかやうの御供にも思ひかけず、長き命いとつらくおぼえ侍るを、人もゆゝしく思ふべければ、今は世にあるものとも人に知られじとてかたちも變へてけるを、强ひて召し出でゝいとあはれと見給ふ。例の昔物語などせさせ給ひて、「こゝには猶時々は參り來べきを、いとたづきなく心ぼそかるべきを、かくて物し給はむは、いと哀に嬉しかるべきことになむ」などえもいひやらず泣き給ふ。「いとふにはへてのび侍る命のつらく、又いかにせよとてうち捨てさせ給ひけむとうらめしくなべての世を思ひ給へしづむに罪もいかに深く侍らむ」と思ひける事どもをうれへかけ聞ゆるも、かたくなしけれど、いとよく言ひ慰め給ふ。いたくねびにたれど昔淸げなりける名殘をそぎ捨てたれば、額のほどさま變れるに少し若くなりて、さる方にみやびかなり。思ひわびてはなどかゝるさまにもなし奉らざりけむ、それにのぶるやうもやあらまし、さてもいかに心深く語らひ聞えてあらましなど一方ならずおぼえ給ふに、この人さへうらやましければ、かくろへたる几帳を少し引きやりてこまやかにぞ語らひ給ひける。むげに