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らにて奉れ給へり。御わたりの程のかづけものどもなど、ことごとしからぬものから品々こまやかにおぼしやりつゝいとおほかり。折につけては忘れぬさまなる御心よせのありがたく、「はらからなども、えいとかうまではおはせぬわざぞ」など人々は聞えしらす。あざやかならぬふる人どもの心には、かゝる方を心にしめて聞ゆ。若き人々は「時々も見奉りならひて、今はとことざまになり給はむをさうざうしくいかに戀しく覺えさせ給はむ」と聞えあへり。みづからは渡り給はむこと、明日とてのまだつとめておはしたり。例のまらうどゐの方におはするにつけても、今はやうやう物馴れて、我こそは人よりさきにかうやうにも思ひそめしかなど、ありしさまのたまひし心ばへを思ひ出でつゝ、さすがにかけはなれ、殊の外になどははしたなめ給はざりしを、我が心もてあやしうも隔たりにしかなと胸いたく思ひつゞけられ給ふ。かいまみせしさうじの穴も思ひ出でらるればよりて見給へど、このうちをばおろし籠めたればいとかひなし。うちにも人々思ひ出で聞えつゝうちひそみあへり。中の君はまして催さるゝ御淚の川にあすのわたりもおぼえ給はず、ほれぼれしげにて眺め臥し給へるに「月頃のつもりもそこはかとなけれどいぶせく思ひ給へらるゝを、かた端もあきらめ聞えさせて慰め侍らばや。例のはしたなく、なさし放たせ給ひそ。いとゞあらぬ世の心地し侍り」と聞え給へれば、「はしたなしと思はれ奉らむとしも思はねど、いさや心ちも例のやうにもおぼえず、かき亂りつゝいとゞはかばかしらぬひがごともやとつゝましうてなむ」と心苦しげにおぼいたれど、「いとほし」などこれかれ聞えて、中のさうじの口にて對面し給