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早蕨

やぶしわかねば、春の光を見給ふにつけても、いかでかくながらへにけむ月日ならむと夢のやうにのみおぼえ給ふ。行きかふ時々に隨ひ花鳥の色をもねをも同じ心におきふし見つゝ、はかなきことをももとすゑをとりていひかはし、心ぼそき世のうさもつらさもうち語らひ合せ聞えしにこそ慰む方もありしか、をかしきことあはれなるふしをも、聞き知る人もなきまゝに、よろづかきくらし、心ひとつを碎きて、宮のおはしまさずなりにし悲しさよりも、やゝうちまさりて戀しく侘しきに、いかにせむと明け暮るゝも知らず惑はれ給へど、世にとまるべきほどは限あるわざなりければ、しなれぬもあさまし。阿闍梨のもとより、「年あらたまりては何事かおはしますらむ。御いのりはたゆみなく仕うまつり侍り。今はひと所の御ことをなむやすからず念じ聞えさする」など聞えてわらびつくづくしをかしきこに入れて、「これはわらはべの供養じて侍る初穗なり」とて奉れり。手はいとあしうて、歌はわざとがましくひき放ちてぞ書きたる。

 「君にとてあまたの春をつみしかば常をわすれぬはつわらびなり。御前によみ申さしめ給へ」とあり。大事と思ひまはして詠み出しつらむとおぼせば、歌の心ばへもいとあはれにて、なほざりにさしもおぼされぬなめりと見ゆる言の葉を、めでたく好ましげに書き盡し給